カルピスはお好きでしょうか。「初恋の味」のキャッチフレーズもあって、昭和世代には郷愁を感じさせる飲料です。
カルピスは、創業者の三島海雲が内モンゴルの乳製品にヒントを得て開発したといわれています。
『モンゴルの白いご馳走 大草原の贈りもの「酸乳」の秘密』石毛直道編著 チクマ秀版社1997
カルピス株式会社が創業80年記念事業として内モンゴルの乳食文化を調査し、出版したものです。世界の伝統的発酵乳を考える上で当地の調査は欠かせないのに専門的記録が少ない、としてこの事業が行なわれました。
カルピス社の研究所のメンバーによる内モンゴル滞在記も掲載されていていますが、食文化の大家である石毛直道先生、モンゴル研究の第一人者小長谷有紀先生、乳化学研究の有賀秀子先生らによる解説がメインとなっています。
当時はモンゴルの文化に関する一般向け書籍は少なく、欧米とは異質な乳文化に触れる感覚は『乳利用の民族誌』以来のものでした。
カルピスは当地の「エードスン・スー」(発酵脱脂乳)がモデルかと思いきや、理化学的・微生物的性状は「アイラグ」(牛乳を発酵させた乳酒)に近かったというのが興味深いことでした。
『世界の発酵乳 モンゴル・キルギスそして健康な未来へ』石毛直道編著 はる書房 2008
前作から10年を経て企画された「世界の発酵乳」調査の成果をまとめたものです。三島海雲生誕130年、そしてカルピス社創立90年を記念する事業でもありました。
視点はモンゴルにとどまらず中央アジアへと広がり、キルギス共和国の乳文化を主な対象にしています。小長谷有紀先生と乳酸菌研究の石井智美先生が食文化に関する調査報告をされており、モンゴルとの共通点と相違点を比較しつつ、シルクロードを通じた発酵乳文化の伝播が考察されています。
前作以上に健康機能が重要視され、腸内細菌研究の第一人者である光岡知足先生、食品免疫学の上野川修一先生といった研究者による解説からは、「プロバイオティクス」という概念が一般に浸透し始めた当時の時代背景もうかがえます。
また、三島海雲記念財団の公募受賞論文2点が掲載されているのも見逃せません。
とくに平田昌弘先生(帯広畜産大学)による、アジアの乳文化圏を分類して発酵乳の起原と伝播を考察するという試みは当時から興味深いもので、後に大著『ユーラシア乳文化論』(岩波書店 2013)に発展していくことになります。
『カルピスをつくった男 三島海雲』山川徹著 小学館 2018、小学館文庫2022
三島海雲(1878-1974)の波乱万丈の人生をたどっていく人物評伝です。著者はさまざまなテーマを取り上げてきたノンフィクション作家です。
三島は小さな寺に生まれた勤勉な学僧で、教師として中国へ渡りました。現地でのさまざまな経験を経て商社を設立しますが、挫折して帰国します。内モンゴルで出会った発酵クリーム「ジョウヒ」(モンゴル国でいう「ズーヒー」)に着想を得て、「醍醐味」という製品を発売しました。しかし生乳の確保が難しく、長続きはしなかったといいます。クリームの副産物だった脱脂乳を活用するために開発されたのがカルピスでした。これがヒット商品となりました。
彼の経営理念として知られるのが「国利民福」です。利益の最大化ではなく、国家と人々の幸福に資することを重んじ、会社の存続すら絶対視しなかったといいます。こうした姿勢があったからこそ、のちに味の素やアサヒ飲料の傘下に入るという大きな再編も受け入れられたのかもしれません。これは大型M&Aの成功事例とされており、結果としてカルピスは国民的飲料として100年以上愛され続けています。
そして、三島の私財をもとに設立された三島海雲記念財団は現在も独立した活動を続けており、学術研究や文化事業を支援しています。
カルピスは「初恋の味」であるだけでなく、世界の乳文化の広がりが背後にあり、人々の幸福をめざす理念から生まれた味なのだと思うのです。
