フロマGのチーズときどき食文化

偉人賢人とチーズ物語

2018年6月15日掲載

偉人賢人とチーズ物語 

ヨーロッパには古くから偉人賢人にまつわるチーズ物語がたくさんあります。
チーズの極め人になるためには、こうした、いわゆる周辺情報を蓄積しておくことも大事です。

ミケランジェロ作 ダビデ像


さて最初にお出まし頂くのは「ダビデ」ですが、今から3千年ほど前のお話。旧約聖書の申命記によれば、彼が羊飼いの少年だった時、ペリシテ人と戦っている兄のもとに「パンとチーズ」を10個ずつ届けよと父に命じられます。ダビデ少年が食料をもって戦場へ行くと、目前に敵の猛将ゴリアテが立ちはだかる。そこでダビデは投石器で立ち向かい一発でこの敵の大将を倒して味方を勝ち戦に導くのです。彼はやがてイスラエルの王になります。ミケランジェロ作のダビデ像はこの場面を描いたものですが、当時のチーズはどんなものだったのかは記録されていません。

ハートのキングはシャルルマーニュ

次の写真はトランプですが、大統領ではありません。ハートのキングはフランク王国のシャルルマーニュ(カール大帝)だそうです。今から1200年ほど前のお話。この王様がフランスのある教会でチーズを食べたという記録がある。しかし、これをめぐってフランスでは、これはロックフォールだ、いやブリだといまだに争っているのです。この話の出典はある修道僧が書いた伝記の中に出てきます。シャルルマーニュが、突然立ち寄った教会で柔らかい熟成チーズが出されるのですが、王はそのチーズの皮をナイフで取って食べようとすると、司教は「陛下、そこは最も素晴らしい部分でございます」といった。王がその通りにすると非常においしかったというお話。そこで後世には「チーズの皮を取る」を「カビを取る」に曲訳?してそれはロックフォールだと主張する者が現れる。でも、この伝記を載せている『チーズと文明』(築地書館)の筆者ポール・キンステッドは、この伝記からは食べたチーズ名や場所は特定できないとしているのです。

美女を篭絡したチーズとワイン

次に登場するのは18世紀に生きたヴェネチア生まれのカザノヴァです。彼は偉人というより名うての色事師として有名ですが、非常な才人でもありました。彼の長大な「回想録」は18世紀ヨーロッパの上流階級の風俗を知るには格好の書です。とはいいながら、ほとんどが女性との恋物語が延々と書かれている。そんな中に、亡命先のフランスで難攻不落のやんごとなき女性をロックフォールとシャンベルタン2本で篭絡した話があり、こう結んでいる。「恋人の目の中には歓楽の炎が光っていた。おお、シャンベルタンとロックフォール!生まれたばかりの愛を育み養うことすみやかなる美酒佳肴!(『カザノヴァ回想録』岩波文庫より)。これは今から260年も前のお話です。

ラベルになったナポレオン

  さて、最後はナポレオンですが、写真は英国産カマンベールのラベルです。そこで小話を一つ。ある戦場での事、疲れ果てて眠り込んでいるナポレオンの元へ急使が到着。側近が皇帝をゆり起こそうとしたが目覚めない。ふと思いつき、たっぷり熟したカマンベールを彼の鼻先に持っていく。すると彼はむっくりと起きて「おお、ジョゼフィーヌ今夜はだめだ!」といったとか。ジョゼフィーヌとは愛妻の名です。これは当然誰かが創作した与太話でしよう。ナポレオンにはもう一つチーズに関するエピソードがあります。彼が無謀なエジプト遠征に出かけ、敗れて帰ってきたある日、ナポレオンのもとにスマートなピラミッド型のシェーヴルが送られてくる。それを見てエジプトでの敗戦を思い出した彼は頭に血が上って、そのチーズの上を切れ!と命じた。それが今のヴァランセ・チーズだったというのです。ナポレオンの怒りに触れてこのチーズは踏み台のような形になったのだと、ヴァランセ城の管理者が話してくれました。さらに作家のブリア・サヴァランはナポレオンについて、彼はグルメとは程遠く、ただ空腹を満たすために食べると書いています。でも、ワインはブルゴーニュの銘酒シャンベルタンがお気に入りで遠征先のロシアにまで運ばせるのです。そしてモスクワ近くのボロジノの戦況が思わしくなかった日、彼は一杯のシャンベルタンと一切れのパンを食べただけという記録が残っているのです。しかしそのワインは水割りだったという話もあって、天下の英雄も食に関しては散々なのです。

踏み台型のヴァランセ