フロマGのチーズときどき食文化

フランス牡蠣のルーツは日本の牡蠣?

2018年2月15日掲載

フランス牡蠣(カキ)のルーツは日本の牡蠣?

日本のカキ料理の定番

牡蠣の話ですが分かりやすく片仮名でカキと書きます。冬はカキの季節です。世界のカキ生産量(漁獲量)のランキングというのがあって、かつてはアメリカ、日本、フランスとなっていたようですが、最近では新興国の台頭が目覚ましい。しかし、世界中でフランス人程生ガキに執着する民族はいないでしょう。彼らはカキをほぼ100%剥きたてを生で食べます。日本の場合はフライや鍋物など調理して食べるのが一般的ですが、フランスは昔から生一本です。そして大量に食べる。彼らに言わせると刺身は死んだ魚だが、剥きたてのカキはまだ生きていて、それを飲み込むのがたまらないのだというのです。

モン・サン・ミッシェル湾はカキの名産地

かつてはフランスの大西洋岸には野生のカキが無尽蔵に生息していたそうですが、当時はパリまで馬車で運んでいたので19世紀後半に鉄道が敷かれるまでは、高価で金持ちしか食べられなかったようですが、それでもルイ14世は一度に200個の生ガキを食べたとか、19世紀の文豪バルザックは144個のカキを平らげたなど、生ガキの大食い伝説がたくさん残っているのです。数百年前まではノルマンディーからブルターニュあたりの海岸には天然のカキが海底に無尽蔵に転がっていて誰でも取り放題だった。それが乱獲で一気に量を減らし、やっと1840年頃から取り締まりを強化するがほぼ絶滅してしまう。それを救ったのが養殖技術の普及でした。以後フランスのカキは100%養殖になるのです。

今フランスでは真ガキが主流

ところが1960年代に、またもやフランス・ガキ(平ガキ)に病気が蔓延して、再度絶滅の危機に立たされます。世界各国から種ガキを取り寄せるもすべて失敗。それを救ったのが日本のカキ(真ガキ)なのです。1966年に宮城県から空輸された種ガキが見事に定着。以後種ガキの供給は1980年まで続きます。こうして再度よみがえったフランスの養殖カキの品種は宮城県原産の真ガキが主流となる。(「フランスを救った日本の牡蠣:山本紀久雄」より)。そして2011年、あの東日本大震災が起こった時、フランスのカキ業者は結束し、義援金や復興資材を送るなど様々な形で壊滅したカキ養殖場の復興を支援するのです。

カキにはバターが付いてくる

話はかわりますが、生で食べるカキの開け方がフランスと日本では違います。フランスでは貝の平らな方を上にして、ナイフを差し込み貝柱は上の方しか切らない。これは貝の中のジュースをこぼさないためで、食べるときはカキのジュースを吸ってから、片側に刃がついた専用の小さなフォークで下の貝柱を切り、つるりと飲み込む。合いの手にバターを塗った黒パンをかじる。日本ではカキの剥き身を洗って殻に乗せて出すところもあります。これでは生ガキのだいご味は分からない。ちなみにこの生ガキ専用のフォークは「十八世紀パリの生活誌(下):岩波文庫」に乗っているから、もう300年以上も前から使われているんですね。フランスではちゃんとしたレストランなら、メニューにカキの大きさを表すナンバーが振ってある。0に近いほど大きくて高い。カキを出すレストランにはエカィエ(écailler)というカキ剥き専門の屈強な職人がいて、熟練者は3.5秒で1個あけるそうです。かつて彼らの出身地は主に寒さの厳しいサヴォワ地方のボーフォール辺りで、チーズ造りが暇な冬季には、パリに出てカキ剥き職人として働いていたということです。

エカィエの仕事