乳科学 マルド博士のミルク語り

フレンチパラドックス

2017年7月20日掲載

フレンチパラドックスという言葉をお聞きになった方は多いかと思います。フランス人は心疾患のリスクを高めると考えられている飽和脂肪酸を多く含む食事(肉、乳製品など)を食べているにも関わらず、心疾患による死亡者数がとりわけ低いのは何故だ、というものです。多くの研究者がこのパラドックスの解明に取り組み、フランス人はワインを多飲するためではないかという仮説が提案されました。ワイン、特に赤ワインに多く含まれるポリフェノールには抗酸化作用があり血管の炎症を防ぐので心疾患になりにくいという考え方です。その結果、世界的なワインブームが起こり、日本でも老若男女を問わず、こぞって赤ワインを飲むようになったことは皆様も鮮明に覚えておられることと思います。しかし、その後、ワイン以外の食事因子も関係しているのではないかと考えられるようになりました。

その一つがチーズなのです。図1は私が同僚らと共著で「乳業技術」に投稿した総説の中で発表した、ヨーロッパにおける心疾患による死亡率と国別一人当たりの年間チーズ消費量との関係をプロットしたものです。ご覧のとおり、死亡率とチーズ消費量との間には逆相関があり、チーズ消費が多いほど、死亡率が低いのです。私の知る範囲では、このような関係を示したのは私たちが世界で初めてだと思っています。但し、この図は、心疾患の死亡率に及ぼす様々な要因(交絡因子)に関する影響を配慮していませんので、この図だけから科学的な議論をするには不十分です。

しかし、その後、2009年に私たちのグラフと同様の関係がスロバキアの研究者から発表されました。図2がそれです。ここでも、心疾患による死亡者が少ない国ほどチーズの消費量が多いのです。この図では、ギリシャ、フランス、イタリアなどがチーズ消費量が多く、心疾患による死亡者数が少ないのに対し、チーズ消費量の少ないウクライナやロシアでは死亡者が多くなっています。では、チーズの消費が少ない日本も心疾患による死亡者が多いのか、といえばそんなことはありません。魚を食べる、納豆を食べるなど食文化や生活スタイルなどがヨーロッパとは大きく異なっているためと考えられますが、詳しくは分かっていません。

さらに、2012年になると、チーズには体内の炎症作用(臓器に損傷を与えたり、血管を詰まらせる作用)を抑える働きがあることが分かってきて、そのために心疾患になりにくいのではないかという考えが発表されました(Petyaev & Bashmakov, Med. Hypotheses, 79: 746-749, 2012)。チーズは飽和脂肪酸を多く含んでいるのですが、血清コレステロールに悪影響は与えないことが発表されています。さらに、チーズ熟成中にたんぱく質や脂肪酸が変化して生成する成分が心疾患抑制に働くことも分かってきました。この論文の概要は国際酪農連盟日本国内委員会(JIDF)のホームページにも掲載されています(サイトをご覧になる方はこちらをクリック)。

この日本語で書かれた概要には記載されていませんが、論文にはチーズ、特にカビ系チーズの抗炎症作用が高いこと、牛乳より羊乳の方がより高い効果があると報告されています。カビ、羊とくれば、皆様は即、ロックフォールを想起しますよね。イエ~~イ!そうなんです。ロックフォールにはなかんずく高い抗炎症作用があると記載されています。なので、ロックフォールをつまみながら赤ワインを飲むことは、とてもリーズナブルな飲み方なのです。

ところで、蛇足ですが、ジャパニーズパラドックスというのもあるそうです。日本人の喫煙率は世界でも高いにも関わらず、心疾患による死亡者数が少ないのは何故かというものです。しかも、喫煙率が年々下がるにつれて心疾患による死亡者数は増えているのです。だろっ!とほくそ笑む愛煙家が目に浮かびますが、交絡因子を配慮していないのでほくそ笑むのは筋違いです。それでも、だろっ!と言い訳したくなりますよね。