世界のチーズぶらり旅

アルプスのローマといわれた町へ

2014年2月1日掲載

アオスタの谷

イタリア半島の北西部にあるバレ・ダオスタ(Valle d’Aosta)州は最も小さな自治州であることは先月紹介した。この州の名前はアオスタの谷という意味である。ヨーロッパの最高峰、モンテ・ビアンコ(モン・ブラン)の東側の斜面からその谷は始まる。氷河を溶かして流れる川は3千メートル級の山肌を削って深い谷を刻みながら40㌔東に流れやがて南に下ってポー川に合流する。

高原で作られるチーズ

アオスタの谷はかなり広い所もあり、牧場はもとより麦畑や葡萄畑もある。谷を貫く自動車道を走っていると、両岸の少し高い所に古い城跡や要塞らしき遺跡がしきりに現れる。こんな不便な山の中になぜと?と思われるが、この谷は古代よりイタリア半島から、現在のフランスやスイスに抜ける交通の要衝だったのである。数千年もの間軍隊や商人など幾多の民族がこの谷を通りアルプスの峠を越えて往き来した。カール大帝やナポレオンも峠を越えこの谷を通っていった。

アオスタのメインストリート

アオスタ州の広さは埼玉県位で、そのほとんどが山また山である。しかし州の大部分を覆う美しいアルプスの山々には夏冬通して観光客やスキー客が絶えない。そして夏の高原は牧場となり、豊富な草と清潔な環境から生まれる良質なミルクは品質の高いチーズを作り出す。高山植物の花やハーブを食べたミルクからつくられるチーズは特に珍重される。

フォンティーナのグラタン

さて美しい高原の村にあるチーズ工房の訪問を終えて、我々を乗せた車は深いアオスタの谷を右に左に見下ろしながら、急斜面に刻まれた道を下って行った。今夜の宿は谷の奥、フランス国境に近い州都アオスタの町である。谷に降りるとそこはフランスのシャモニーに通ずる高速道である。1965モン・ブラン・トンネルができると、この道はイタリアから北ヨーロッパに通ずる大動脈となり、各国の大型トラックが行き来している。

子牛の生肉サラダ

アオスタの町は州都ながら驚くほど小さいが、この町こそ「アルプスのローマ」といわれ、二千年前のローマ時代からアルプス越えの拠点として栄えた。せいぜい一辺が700㍍ほどの長方形の城壁の中にある旧市街にはローマ時代の遺跡の他、大聖堂などがぎっしりと詰まっている。車の乗り入れは禁止なのでゆっくりと歩ける快適な散歩道である。

この町に我々が期待した物の一つはフォンティーナ・チーズで作るフォンデューである。料理名なぜかピエモンテ風となっているがこのフォンデューには白トリュフ入が入る。

ホテルに荷物を置きさっそく町に向かう。東のアウグストゥスの門をくぐると、すぐに商店街で幅10m程の道の両側に様々な店が並んでいる。我々はその中から今夜の夕食ができそうな、できればフォンデューが食べられそうな店を探し、どうやらそれらしきレストランを探し当て予約を取った。

周りの山々が夕日に染まる頃、我々は期待に胸を膨らませレストランに繰り出した。その店は狭いながら格調の高い店だったが、残念ながらフォンデューはなかった。やっぱり夏はダメなのか。しかしフォンティーナのグラタンがあったので気を取り直し、前菜には子牛の生肉のサラダを取る。美しいこのサラダは確かこのあたりに昔からあった料理で、1950年にヴェネチアのハーリーズ・バーの主人によって発明されたカルパッチョとこの生肉のサラダが融合して、現在のカルパッチョのスタンダードができあがったと何かで読んだことがある。最後は旬のアスパラガスのリゾットも堪能し、ワインをたっぷり飲んで2千年の古都アオスタの街中をそぞろ歩きしながらホテルに戻った。