世界のチーズぶらり旅

ポルトガルの山のチーズを訪ねて

2012年9月1日掲載

荒涼としたエストレーラ山脈の尾根

ボルトガルのほぼ中頃にエストレーラ山脈がある。その山の中で作られるポルトガルを代表するチーズ、セーラ・ダ・エストレーラを求めてポルトガル中東部の町カステロ・ブランコを出発。まずは近くの街と同名のDOP(原産地名称保護)認定チーズ、カステロ・ブランコの工房を見学した後、高速道路を北上する。この辺り一帯は貧弱な草が生えた牧場が広がり、羊や牛が放牧されていて牧場の中にはポルトガル特産のコルク樫がまばらに生えている。

峠の売店の驚きの品ぞろえ

50km程北上してから速道路を下りて山道にかかる。エストレーラ山脈を北に越えるのである。七曲りの道を登っていき、尾根筋の峠に出ると植物が僅かに生えた岩だらけの台地で、そこはスキー場になっているが、雪が無いので岩また岩の荒れ果てた風景である。峠に売店があったので、土産物でも売っているのかとのぞいて見てびっくり。チーズや生ハムやソーセージなどの肉製品がぎっしり陳列されている。かなりのボリュームだ。東京のデパートだってこれ程の品ぞろえは望めないだろう。この旅の目的であるDOPチーズのセーラ・ダ・エストレーラにエストレーラの山の上で出会ったのだ。

売店の周りは岩だらけで他に人家はないのに、これだけの品ぞろえはなぜ?ポルトガの旅は意表を突かれることが多い。考えてみれば、この道は峠を越えてポルト市に通じる道路でこの道を通る車が多くそれなりのお客があるのだろう。

もんで、搾って脱水し型に入れる

さして高い山ではないので下りはじめると間もなく、明るいレンガ色の瓦に白壁の家が軒を連ねた町が見えた。この町を過ぎると道は平坦になり、少し行くと道端に目指すセーラ・ダ・エストレーラの工房の標識があった。坂道を下ると、その工房は小川のほとりの林の中にあり、周りには真っ黒な毛色の子羊の群れが放たれていた。

到着してすぐ白い帽子と防護服を着せられ製造室に入ると、すでに作業は型詰めの段階に入っている。ここでもチーズ職人はすべて女性である。まず意表を突かれたのは、固まった凝乳(カード)をカットするためには、普通はカードナイフを使うが、ここでは腕まくりした女性が両腕でカードをかき回しながらカードを砕く。それが終わると独特な形の水切り台の上に、タンクからカードをくみ上げると、両脇の女性が白い布でカードを包み、もんだり、こねたりしながら、ホエーを抜いて型に詰めていく。我々がこれまで習ったり見たりしたチーズの作り方とはまるで違うのである。

チーズをブラシで洗って布を巻く

更に別の部屋では、熟成中に生えたカビをタワシを使って塩水でごしごしと洗い落していた。洗ったチーズはすぐに側面に白い布を巻きつける。これがこのチーズの特徴である。

セーラ・ダ・エストレーラ。ポルトガル語辞典を引くと、serraは山脈で、estorelaは星という意味がある。ローマ時代から作られているという、ポルトガルで最も古いチーズの一つであり、このスタイルはポルトガルチーズの基本形といわれ、後にポルト市のスーパーの売り場で同じようなチーズをたくさん見る事になる。

食べごろのセーラ・ダ・エストレーラ

見学、取材が終わったらお待ちかねの試食である。チーズの上の皮をとるとトロリと溶けた中身が現れる。これをパンにのっけてこの地方の赤ワインと一緒に食べる。小川のほとりの柳が薄緑の葉を茂らせ春の陽が穏やかに降り注ぐ。至福のひと時であった。