世界のチーズぶらり旅

王侯貴族に愛されたチーズを訪ねて

2012年6月1日掲載

熟成前のブリ

ヨーロッパでは中世以来チーズと玉ねぎといえば貧乏人の食糧の象徴であった。シェクスピアの戯曲にもチーズは貧しい者の食べ物とするセリフが見える。しかし逆に考えればチーズは当時の庶民の重要な蛋白源だったわけである。
パリを中心にした広大なパリ盆地の北東側に広がる平野で昔から作られていたチーズがある。それがブリ(Brie)である。ブリだけはチーズが庶民の食べ物だった時代から王侯貴族に愛され続けてきた。

シャンパーニュ地方の平原

このチーズの王との関係は8世紀にシャルルマーニュ大帝が賞味した時代にさかさかのぼる。更に下って、12世紀のフィリップ2世の時代からはフランスの宮廷で持てはやされるようになる。王自らが貴婦人達への贈り物に使ったという。更に15世紀にはブルボン王朝の創始者となったアンリ4世も王妃マルゴと共にブリを朝食に食べた。
ブリはソフト系のチーズとしては随分と大きく、直径30cmもあるのに厚さはせいぜい5cmほどの円盤型。熟成して柔らかくなると扱いが難しくなるが、チーズでできたお菓子といわれるほど優雅な味わいが、やんごとなき人々の味覚をとらえたのである。そして、フランス絶対王制の最後の王になるルイ16世が最後に食べたのもブリではなかったか・・

1791年6月21日の午前2時、パリで革命軍に拘束されていたルイ16世は王妃マリー・アントワネットとその家族を引き連れて国外逃亡を図る。当時、他の貴族達は庶民に身をやつして逃亡を図ったのに、危機感の薄い王家一族は、一目でそれとわかる豪華な8頭立ての馬車に、銀の食器まで積んでシャンパーニュの平原に向けて走り出す。様々な行き違いがあり、200km行くのに丸一日以上かかってしまう。

サーベラージュ

その夜、シャンパンで有名なランスの町から50km程東方にある小さな町ヴァレンヌで、とうとう王達は革命派にとらえられ、町長の家に拘束される。生れて初めて庶民の家に入ったルイ16世は開口一番チーズとワインを持てといった。そして食いしん坊の王は悠然と食卓に着き、猛烈に大きなチーズの一片を切り取った、とマリー・アントワネットの伝記に書かれている。
このチーズが何であったかは書かれていないが、この辺りは、まさブリの生産エリアだから、現地の人はそれはブリに間違いないと言いい張った。やがてパリに連れ戻された王と王妃は断頭台の露となる。

昨年の夏、パリの東駅から高速列車TGVに乗り、広大なシャンパーニュの平原を横切ってロレーヌ地方のナンシーに向かった。車窓から見る平原は森に囲まれた黄金色の麦畑や牛が群れる牧草地がと続く。 今から220年前フランスの最後の王ルイ16世とその家族を載せた豪華な馬車が、こののどかな田舎道をのろのろと走っている光景が目に浮かんだが、TGVの速度は風景を鑑賞する間を与えない。

ブリの型詰め作業

ナンシーから車に乗り換え、王達の最後の地であるヴァレンヌから少し南に下がった麦畑の中にあるブリの工房を訪ねた。このチーズの製法は少し変わっている。大きなバケツで牛乳を凝固させ、固まったらサーベラージュと言って、サーベルの様なもので大まかにカードを縦に切る。それをペル・ア・ブリと呼ぶ円盤型のシャベルでカードを薄く削り取って型に詰める。水分が切れ形が出来たら白カビを植えて塩をし、4週間ほど熟成させるとチーズで出来たお菓子といわれるブリが出来上がる。日本にも沢山輸入されているのでぜひ賞味されたい。見学の後のお楽しみはチーズの試食である。木陰にテーブルを据えて食べごろのブリが切られた。ワインはまさにこの地方の酒シャンパーニュだ。王様のチーズとワインの王との豪華で幸せな競演であった。

お楽しみの試食会