フロマGのチーズときどき食文化

シーザースサラダの謎

2014年4月15日掲載

春を告げるミモザ・サラダ

もうだいぶ古い話ですが、パリに住んで音楽活動をした、日本のシャンソン界の草分け的存在だった故石井好子さんが、パリでは春になるとミモザ・サラダを食べると何かに書いていた様な記憶があります。ミモザは春の花。目が覚めるような黄色い花が房状になって咲きます。その花に見立て緑の野菜の上に裏ごしした茹で卵の黄身を飾るのです。 日本の食卓にサラダが登場するのはさほど古くはないのですが、元々日本人は生野菜を酢もみや浅漬けなどの形で食べていたから、油分を使わないだけでこれもサラダの一種と考えてもいいでしょう。サラダとはラテン語の塩をした(salare)から来た言葉ですから。

日本に定着したカプレーゼ

初期の頃のサラダは衛生上の問題があって生野菜はあまり使われず、ジャガイモやインゲンなど茹で野菜を使うことが多かったのです。アスパラガスは缶詰のホワイトアスパラガスでした。マカロニやハムなんかも入っていて、当時はもっぱらデパートの食堂などで気取って食べる物でした。やがてサラダ菜が豊富に出回るようになると、家庭でも普通にサラダが作られるようになります。そして1980年代の後半に、俵万智さんという若い歌人が書いた「サラダ記念日」という歌集がベストセラーになるに及んで、若い女性の間でサラダ作りが流行ったりして日本に独特のサラダ文化ができあがるのです。

サンセールの町で出会ったクロタンのサラダ

さて、チーズのサラダといえば、モッツアレラを使ったカプレーゼは、すでに日本に定着しましたが、20世紀の後半あたりからパリで流行したクロタンのサラダを知る人はまだ少ないでしょう。私も何かの本で見ていつかはと思っていましたが、何度目かのフランス旅行で、いきなり田舎のレストランで目の前に現れたのです。それが右の写真です。突然の出会いに興奮しましたね。これが私のサラダ記念日です。もう古い話になりましたが。

さて、日本でも人気のシーザーサラダにも知っての通りチーズが入りますが、このサラダが最初に作られたのはアメリカの国境に近いメキシコの町のレストランです。1924年のアメリカの独立記念日の夜、あり合わせの材料で作ったものが評判になるのですが、このサラダに入れるチーズが問題なのです。シェフがイタリア系移民だったという事で、大方のレシピはパルメザンを使うとしているのですが、果たしてそうなのだろうか。

アメリカに輸出されたペコリーノ・ロマーノ

イタリアからの移民が増えるのは19世紀の終わり頃からで、大半が貧しい南イタリアの人達でした。当時は地域間の行き来がなかったので、南の人が北のパルミジャーノなど知らなかったでしょう。従って使われたのは南部の人達が慣れ親しんだ羊乳製のチーズだった可能性の方が高いのです。多くの資料の中で唯一「ロマーノ」としているのがありました。おそらくこれが正しい。というのはアメリカへの移民が増えると同時にペコリーノ・ロマーノのアメリカへの輸出が増え生産地をサルディーニャ島に拡大したという事実があるからです。

イタリア以外の人達は、すりおろして粉にしたチーズを何でもパルメザンといってしまう。後にイタリアにさえパルメザンが現れた。あまりにも目に余るので、イタリアの生産者組合はパルメザンもパルミジャーノ・レッジャーノと同義語であると、その名称の保護を欧州司法裁判所に訴えて勝訴するのです。しかし、この判決はEU圏外では効力がないので、日本の店頭には相変わらず丸い容器に入ったパルメザンが並んでいますね。