フロマGのチーズときどき食文化

トマトとチーズの出会い

2014年1月15日掲載

様々なトマトを売る屋台

日本にまだイタリア料理店などなかった時代、喫茶店や洋食屋で出される茹で置きスパゲッティにトマト・ケチャップをからめたナポリタンという料理がありました。もちろん今もあるけど料理の付け合せになったりしています。ナポリタンというからナポリ発祥の料理と思いきや、実は日本人が発明したものなのです。誰が発明したかについては諸説あります。例えば戦後横浜のホテルの料理長が最初に作ったという説。いやいや昭和初期のコメディアンが昭和9年に三越の特別食堂で食べたという記録を残しているので三越が最初という説などですが、これを見ると当時ナポリタンは高級料理だったんですね。

ピッツア・マルゲリータを焼く

やがて国産のスパゲッティが開発されると、販売促進用に採用された料理がナポリタンだったのです。そのおかげでナポリタンは学校給食にもなり一気に大衆化します。当時はまだパスタという言葉は日本になく、料理もナポリタンの他ミートソース位でしたが、まだ、あの缶入りのパルメザンと称する粉チーズはありませんでした。さて、そこでなぜトマトソースで和えたスパゲッティがナポリタンといわれる様になったのか。それはイタリア半島の南に位置するナポリの町とトマトとは歴史的な因果関係があるからなのです。

マルゲリータ王妃を描いた看板

トマトの原産地は南米のアンデス山脈。ヨーロッパに渡ったのはコロンブスのアメリカ大陸発見以降という事になります。特に中南米を征服したスペイン人がジャガイモと共にトマトをヨーロッパに持ち帰ります。スペイン船がナポリにトマトのタネを持ち込んだのは1554年とされますが、なぜスペイン船かといえば当時のナポリはスペインに支配されていたからです。でも、はるばる新大陸からもたらされたトマトも、得体の知れない植物として気味悪がられ、観賞用として栽培されるだけで食べる人はいなかった。食用として皿に乗るまでには200年もかかるのです。その間に様々な人たちが普及に努めますが、17世紀の後半にナポリの料理人によって「スペイン風トマトソース」という物が開発されます。そして当時ナポリですでに庶民の食べ物になっていたパスタとこのトマトソースが出会います。トマトソースがない時代のパスタは大量の卸しチーズと砂糖を振りかけた甘い料理だったのですが、トマトソースができてからは砂糖が消えてチーズが残ります。こうして、トマトとチーズはイタリア料理にとっては象徴的な存在になります。トマトとチーズを使っていれば、これはもうイタリア料理なんですね。

カプリ島で食べたカプレーゼ

こうしてナポリでのトマトとチーズの出会いは、別の名品料理も生まれます。今から100年程前にイタリアの王妃がお気に入りだった、ご存じのピッツァ・マルゲリータもその一つでね。以前ナポリに旅した時にマルゲリータ発祥の地というBrandiという店でマルゲリータを食べたことがあります。店の入り口にはマルゲリータ王妃がピッツァを持って馬に乗っているという嘘っぽいイラスト入りの看板がありました。その翌日には、日本でもよく知られているカプリ風(カプレーゼ)というトマトとモッツアレラのサラダを、ナポリ湾に浮かぶカプリ島の断崖の上のレストランで食べながら、ひと皿の中に描き出された人間の壮大な物語と歴史を思ったのでした。