乳科学 マルド博士のミルク語り

アイスクリームの日

2023年7月20日掲載

5月9日はアイスクリームの日でした。何故、5月9日かというと、5月からアイスクリーム製造の最盛期に突入します。そこで、1964(昭和39)年、東京アイスクリーム協会がGW明けの5月9日に記念事業を開催し、都内の施設や病院などにアイスクリームをプレゼントしました。これ以後、5月9日を「アイスクリームの日」と定めたそうです。私は、実は新入社員だった頃、アイスクリームの製造職場で働いていました。今は冬でもアイスクリームを食べますが、当時(1974~5年)は冬の消費は少なく夏場の食べ物でした。そのため、アイスクリームの製造は5月~6月が最盛期だったのです。
日本アイスクリーム協会がまとめた「日本アイスクリーム史」によれば、日本人が初めてアイスクリームを食べたのは1860(万延元)年のことで、幕府の渡米使節団が渡米した際に船上での歓迎レセプションが行われ、その際に「アイスクリン」なるものが提供されました。これは水をいろいろ染めて甘く口中で溶ける美味なるものでした。しかし、今でいうアイスクリームなのか、シャーベットなのかは明確ではありません。しかし、アメリカでは1846(弘化3)年には手廻しフリーザーが発明され、1851(嘉永4)年には余ったクリームからアイスクリームを製造し販売していることから、アイスクリンがアイスクリームであった可能性はあります。
日本で最初にアイスクリンを製造販売したのは町田房蔵という人で、1869(明治2)年のことでした。場所は現在の横浜市馬車道通りで、記念碑があります。記念碑は赤ちゃんを抱きかかえる母親の像で、母と子の深い愛情を表現しています
(ヨコハマ経済新聞WEB https://www.hamakei.com/photoflash/7674/
一方、北海道で最初に乳製品の試作を行った七重勧業試験場でもアイスクリームの試作が行われており、写真は七飯町歴史館に所蔵されている手回しフリーザーです。1876(明治9)年7月17日には明治天皇が七重勧業試験場を御巡幸され、その際七重勧業試験場で試作した粉ミルク、チーズおよびボートルアイスクリームを献上したところ、行在所に送るよう命じられ直ちに送付したとの記録があります。なお、ボートルアイスクリームの”ボートル”はバターと推察されるものの、明確ではありません。

ところで、アイスクリームとアイスクリンは別物なのでしょうか?横浜で最初に販売されたものは「アイスクリン」と呼ばれていました。一方、1876年に明治天皇に献上されたものは「ボートルアイスクリーム」と記載されています。短期間の間に「アイスクリン」が「アイスクリーム」と呼ばれるようになったのでしょうか?
Wikipediaによれば「アイスクリン」が高知県や沖縄県では一般的に販売されており、乳製品の割合が低く、氷菓に分類されるらしい。ということは、明治初期に「アイスクリン」と呼ばれていたものは氷菓で、「アイスクリーム」とは別物である可能性が高いと推察します。
「アイスクリン」が氷菓だとすると、日本人が氷菓を食べた歴史は枕草子の時代まで遡ります。削った氷に「あまずら」という草の汁を加えて食べたことが書いてあるそうです。まさにかき氷そのものですね。
私が子供だった頃、アイスと言えばアイスキャンディで、自転車の荷台に箱を積み込み、甘いジュースを凍らせたバー型のアイスキャンディをチリンチリンと鐘を鳴らしながら売りに来ていました。また、蒸気機関車で引かれた客車で車内販売されていたカップ型アイスクリームのフタを取ると、機関車から出るススが白いアイスクリームの表面にポツポツと付き、それをどけながら食べるアイスクリームは格別のおいしさでした。あれから50年。アイスクリームの製造技術は眼を見張るばかりの進歩を遂げました。

 


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