世界のチーズぶらり旅

ウサギの国のヒツジのチーズ

2021年1月1日掲載

ウサギの国のヒツジのチーズ

1.エストレマドゥーラの広大な平原

スペイン南西部のポルトガルに国境を接するエストレマドゥーラ州を車で行くと乾燥した広大な平原が続き、時折ローマ時代に建設された古い町が現れる。世界遺産に登録された町も幾つかあるけれど、観光客の姿はほとんど見えず、街を出るとすぐに人家が途絶え、広大な荒野の地平線には羊の群れが見え隠れしたりする。
スペインという国名の語源になったイスパニアとは「ウサギの国」という意味だったと、司馬遼太郎氏は「街道をゆく」シリーズに書いている。ローマ人がこの地を開いた時には草木が豊かに茂りあい、その中をウサギが飛びはねていたのだろうか。その後ローマ帝国が衰退すると、5世紀頃ゲルマン系の西ゴート族がイベリア半島を征服。更に8世紀にはアフリカからイスラム教徒がやってきて国を建て800年にわたってこの半島を支配するのである。この様に長きにわたって様々な民族に支配されたスペインは、他のヨーロッパ諸国にはない、全く異なった雰囲気にひたれる国なのである。特に過疎の進んだ西部地域には、さほど大きくはないが古代の雰囲気を残した古い町がいくつか残っている。

2.トルタ・デル・カサールの工房

ある年の春、この広大な原野の道をたどっていると草原の向こうに大きな羊の群れが見えたので車を止めてもらい写真を撮っていると、同行の仲間が近くにチーズ工房があるのを発見。見学を申し込むと快く招じ入れてくれた。ここはこの地を代表する羊乳製のチーズ、トルタ・デル・カサール(Torta del Casar D.O.P)を作っている工房だった。
このチーズは羊乳をチョウセンアザミの雄シベで凝固させるのだが、いきなり乾燥させたアザミの花が丸ごと出てきたので驚いた。

3.凝乳剤に使われる朝鮮アザミの花

工房に入ると数人の男女が楽しそうに脱水したカードをモールドに詰める作業をしている。スペインの西部やポルトガルには、チーズの側面にサラシやレース状の白い布を巻いて熟成させるチーズをよく見かけるが、この工房のチーズにも模様がついたレース状のお洒落な布が巻かれていた。
さっそく試食をさせてもらったが、チーズの上の皮を取り除き、とろりと溶けた所をスプーンで掬って食べるのだが、なかなか濃厚で個性的な風味を持つチーズであった。

4.レースを巻いたトルタ・デル・カサール

その夜の泊りは近くの古い町トルヒーリョである。街はさほど大きくはないが、定石通り古代ローマ、西ゴート族、そしてイスラムに支配された町だが、長期にわたるキリスト教徒の国土回復運動(レコンキスタ)は、イスラム教徒が築いたインフラを破壊し、この地方を荒廃させていった。生きるすべを失った地元の人たちは豊かさを求め、当時発見された新大陸に渡り現地の民族を征服して行く。このトルヒーリョの町の広場には、南米のペルーを征服し、財宝を持ち帰って建てたといわれる豪壮な邸宅が、ひっそりと立ち並び、広場の真ん中にはインカ帝国を征服し、コンキスタドール(征服者)といわれたフランシスコ・ピサロの馬に乗った大きな像が立っている。その像から少し階段を上ると、まさに暮れなんとするエストレマドゥーラ平原の夕景を眺めることができた。

5.城壁から見た大平原の夕景

暗くなってから、広場の片隅の小さなBARに入り、イベリコ豚のハモンと辛口のシェリーを舐めながら考えた。スペインを表現するときによく「光と影」という言葉が使われるが、まさに、この町は遠い国に出かけて行ったコンキスタドールによって一時は栄えたのだが、その征服とやらの実態を知れば血が凍る。まるで草を刈るように現地人を殺戮したと司馬遼太郎氏は書いている。
夕食は取りやめ外に出ると上空には三日月がかかっている。明日も快晴であろう。

 

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©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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