乳科学 マルド博士のミルク語り

ナノクラスター

2020年6月20日掲載

ナノクラスター
“クラスター”、この不快な響きのある言葉は皆様の脳内にきっちりインプットされましたね。集団とか塊といった意味ですが、ナノ(ミリメーター mmの100万分の1で、nmと書いてナノメーターと読みます)という大きさを表す言葉を付けた“ナノクラスター”は私たち乳やチーズ関係者にとって極めて重要な言葉です。でも、これまでは耳慣れない言葉なので極力使わないようにしてきました。しかし、クラスターは不幸にも一般用語となりました。
何故、そんなに重要なのでしょうか。私たち哺乳類の骨や歯を維持し、生命を維持するためにリン酸カルシウムが必須です。しかし、リン酸カルシウムは中性では殆ど水に溶けないので、乳を介して仔にリン酸カルシウムを大量に安定供給することはできません。水に溶けないリン酸カルシウムは互いに凝集し、ある大きさ以上になると沈殿してしまいます。
(C.P.A.コラム「ミルクが白くなければ」2016年1月20日参照)

そこで、哺乳類が考案した解決策はカゼインを利用してリン酸カルシウムの小さいクラスター(ナノクラスター)を包み込んで沈殿しないようにしたのです。いわば、カゼインは浮き輪のような役割なのです(図)。この時のリン酸カルシウムのナノクラスターの大きさが2-6nmで、「リン酸カルシウムナノクラスター」と呼んでいるのです。
このようなリン酸カルシウムナノクラスターが沢山寄り集まり、浮き輪であるカゼインどうしが絡み合ったり、手をつなぎ合ったりしたものがカゼインミセルです(図)。このような考え方は英国ハナ研究所のHolt が提案し、21世紀になると多くの研究者から支持されるようになりました。その前は「サブミセルモデル」という考え方が主流で、今でも古い書物にはサブミセルモデルが紹介されていますが、現在では支持されていません。
但し、ナノクラスターモデルも進化途上にあり、改良モデルも提案されています。ナノクラスターモデルを基本にしていますが、ギュッと詰まった密な状態ではなく、水の通り道を含む多孔性の構造との考え方も提案されています。この水の通り道を介してカゼイン(特にβ-カゼイン)が出入りし、またレンネットがカゼインミセルの表面だけでなくミセルの内部にも潜り込み、レンネット凝固に関与していると考えられています。
カゼインミセルに含まれるリン酸カルシウムナノクラスターはボルトの役割を果たしています。ボルトが外れるとカゼインミセルの構造は軟弱になります。ボルトがどの程度外れるのはpHに依存しています。スターターが乳酸を生成し、pHが下がっていくとボルトであるリン酸カルシウムナノクラスターは水に溶けだします。チーズではカード中にリン酸カルシウムナノクラスターがどの程度残っているかがチーズのテクスチャーを左右します。ボルトが少なくなって軟弱になったチーズを加熱すると溶けだします。一方、リン酸カルシウムナノクラスターがあまり外れていないチーズは加熱しても溶けだしません。

チーズのテクスチャーや調理特性を決めるのは脂肪含量や脂肪球の分散状態、大きさなど脂肪も関係していますが、根本的にはリン酸カルシウムナノクラスターがカゼインミセルにどの程度残っているかがポイントなのです。なので、リン酸カルシウム含量の多い乳(例えばヤギ乳)でモッツァレラを作る場合、乳酸菌で牛乳と同じpHにしても残存するリン酸カルシウムナノクラスターの量が若干多くなり(ボルトが多い)、延伸性が悪い場合があります。
「クラスター」には反発しても「ナノクラスター」には親しんでくださいね。