フロマGのチーズときどき食文化

マカロニとスパゲッティ

2020年3月15日掲載

マカロニとスパゲッティ

1.小さくなった日本のマカロニ

マカロニというイタリアの食品が日本に来たのは明治初期の頃とされていますが、以来この食材が一般家庭のお惣菜になるまで百年近くかかっているのです。筆者が穴の開いた、後にショートパスタといわれるマカロニなる物を始めて見たのは昭和20年代後半でしたか。当時は茹でたものを炒めたり、サラダにして食べていたようです。そのマカロニはおそらく日本製だったのでしょう。というのは、乾燥パスタをつくる場合は、生地を細く切ったものを写真3のように横棒に掛けて自然乾燥さていたため、長くする必要があったのです。当時の料理本には、マカロニは折って短くして使いましょうという指示があったといいますから輸入物は長かったのでしょう。この様に数あるパスタの中から歴史の浅い穴の開いた特殊な形のマカロニが真っ先に日本で普及したのは不思議です。

2.ナポリの象徴ヴェスヴィオ山

我々がマカロニ(英語)と呼んでいるものは、イタリア語ではマッケローニ(Maccheroni)といい、パスタ全体を指す言葉だったのです。14世紀にイタリアの作家ボッカチョが書いた奇想天外な物語デカメロンの中に「その村には粉に引いたパルマチーズの山があり、その上に人がいて茹でた大量のマッケローニを、チーズの山からぶちまけると下にいる者は誰もが食べ放題…」などと言う夢物語が書かれているのです。当時マッケローニはパスタの総称であり近代になるまでは、すべてが生パスタだったのです。乾燥パスタがいつどこで開発されたかは諸説あります。一つはアラブの遊牧民説。今一つは地中海を行きかう船舶の食料として開発されたという説です。しかし、乾燥パスタを調理するには大量の水が要るので砂漠の民には無理。海上であれば海水を利用できるので便利。と言う事で海上説が有利なようです。その航海用の食料がある時期に突如ナポリに上陸し産業として発展していきます。スペイン領だったナポリは17世紀の後半にはヨーロッパで最も人口が多く活気にあふれた町でした。後にこのナポリで穴あきのマッケローニが発明されるのです。

3.ヴェスヴィオ山麓のパスタ工房

乾燥パスタの生産はまずパスタ生地を連続的に絞り出す圧搾器の発明から始まります。この圧搾器の出現でナポリは乾燥パスタの一大産地になっていきます。特に近郊のヴェスヴィオ山麓あたりは山から吹き下ろす乾いた風がパスタを程よく乾燥させるといわれ、パスタの工房が多く作られます。時代が下るとこのナポリで奇妙な製品が発明される。それはパスタ生地を絞り出す器具を改良することで、パイプ状のロング・パスタを作り出します。この意表突く形状のパスタは話題を呼び「ナポリのマッケローニ」として広く知られるようになり、やがてこの穴あきパスタだけがマッケローニ(マカロニ)と呼ばれるようになるのです。そして17世紀の後半にナポリ人が南米原産のトマトからソースを作り出し、これまでチーズをやたらに振りかけて食べていたパスタ料理は洗練されていくのです。

4.ナポリ下町のパスタ料理

一方、今では手軽なイタリアンとして人気のスパゲッティが日本の食卓に到来したのは、マカロニよりずっと後でした。筆者がその名を知ったのは20代の前半と記憶しています。しかし、マカロニよりも料理の種類も多く手軽にイタリア料理ができてしまうスパゲッティは、あっという間に日本の家庭に広がりマカロニを追い越してしまうのです。でもこのパスタは種類により呼び名が違う上に変な名前が多い。一例ですがSpaghettoni(太い紐)、Vermicelli(ウジ虫)、Capelli d’angelo(天使の髪)などなどです。これも文化の一つでしょうが選ぶ方は大変です。その点国産のロング・パスタ名は皆「スパゲッティ」でその太さと茹で時間が明確に表示されていて便利です。深く考えないところがいいですね。

5.増殖を続ける乾燥パスタ










©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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