乳科学 マルド博士のミルク語り

ミモレットとダニ

2019年3月20日掲載

ミモレットとダニ
ミモレットはとても不思議なチーズです。エダムチーズと同じくアナトーでオレンジ色に着色されており、熟成にはダニが重要な働きをしていると考えられています。日本でもボラの卵巣から作る珍味である「からすみ」に似た味がするということで、日本酒に合うチーズとして愛好家が多いことで知られています。また、以前某大物政治家が「干からびたチーズ」と評したことから世論が一気に炎上した(まではいかなかったっけ)ことでも有名になりました。
また、2013年にFDA(アメリカ食品医薬品局)がミモレットの輸入禁止を決め、ミモレット愛好家が猛烈な抗議行動を行ったことは世界中のニュースとなりました。

ミモレットに繁殖させるダニはシロン(ciron: フランス語でダニの意味)といい、ヒトが食べても特に害はありませんが、まれに経口ダニアレルギー(別名パンケーキ症候群:ダニが大量に繁殖した粉モノを食べることで発症)となり鼻炎やアトピー性皮膚炎などを示す方がいるそうです。それ故にFDAは輸入を禁止したわけですが、現在は輸入できるそうです。解禁された理由は明確ではありませんが、ミモレットのダニが原因となる健康被害が報告されていないためということのようです。が、そんなことは昔から分かっていることなので、個人的には米国での抗議行動があまりにも大きかったせいではないかと想像しています。ミモレットは出荷前にブラシで表皮にいるダニを落としますが、完全ではなく、自宅冷蔵庫で保存中にダニは増えると報告している論文もあります。

では、シロンはミモレットの熟成中にどんな働きをしているのでしょうか。シロンは表皮を食べて無数の凹凸を作ります。この凹凸により空気や水分の出入りがあり、熟成中にどんどん水分が抜けてよりハードな組織になります。また、ミモレットに特有の風味が形成されると言われています。
シロンの働きはそれだけなのでしょうか。いろいろ文献を調べた結果、ミモレットの香気成分とシロンの関係を調べた報告を1件だけ見つけました。この論文によれば、ミモレットには多くの香気成分が含まれ、その多くは炭化水素(炭素と水素からなる化合物)系でした。次に、シロンを加えないで熟成させたミモレットの香気成分を分析すると殆どはシロンを添加した場合に検出される香気成分と同じでしたが、1成分のみシロン添加ミモレットで検出され、シロンを添加しないミモレットからは検出されない成分がありました。つまり、この成分こそがシロンがカビから身を守るために、あるいはフェロモンとしてシロン同士の信号(情報交換)に使うために分泌している成分であるわけです。この成分が“ネラール(neral)”という成分でした(図参照)。



ネラールはレモンオイルに含まれている分子量152.23の脂肪族高級アルデヒドで、レモン様の香りがします。愛すべきシロンは大活躍しているのですねー。

ミモレットは、元々はオランダで作られ、後にフランスでも作られるようになりました。ミモレットとよく似たチーズはドイツのヴィルヒヴィッツァ(Würchwitzer)でも作られており、ミルベンケーゼ(Milbenkäse)と呼ばれています。ミルベンケーゼもダニを表面に繁殖させますが、こちらのシロンはチーズコナダニ(学名 Tyrolichus casei)と呼ばれ、ミモレットのシロン(Brückner & Heethoff, 2016の報告のアシブトコナダニ,学名:Acarus siro)とは別の種類のダニです。しかし、その働きはミモレットのシロンとよく似ていて、表面に凹凸を作り、ネラールを分泌するそうです。
(参考文献 Brückner & Heethoff, Exp. Appl. Acarol. 69: 249-261, 2016)

追補
Brückner & Heethoff (2016)は,ミモレットをドイツのデリカテッセン(スーパーマーケット)で購入した(アシブトコナダニ). しかし,Shimano et al. (2022)は,ミモレットの本来の産地であるフランドル地方のCezar Losfeld社の熟成庫からミモレットのシロン(ダニ)を採集したところ,ミルベンケーゼと同じ種であるチーズコナダニが得られた.
また,ミルベンケーゼの熟成庫からもシロンを採集し直し,かつ,さらにフランス中央高地,オーベルニュ地方のダニを熟成に用いるチーズ,アーティズーArtizouからもシロンを採集した.3ヶ所のチーズ熟成庫からは全て本種チーズコナダニが得られた.不思議なことに遺伝子解析から,3ヶ所のシロンの遺伝的な地理的な変異がほぼ見られなかった.他に,マルシェやチーズ専門店で購入したチーズからは,アシブトコナダニを含む異なる種のシロンが得られた.これらも合わせて用い分泌物の再解析を行い,Brückner & Heethoff (2016)の分泌物の同定間違いを修正した
(Shimizu et al. 2022). しかしながら,ネラールが大切だと言うことに変わりは無い。
(参考文献 Shimano et al., Exp. Appl. Acarol. 87: 49–65, 2022; Shimizu et al., Exp. Appl. Acarol. 87: 309–323)