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むかし日本でシャンソンが大流行したことがあった。三輪明宏が丸山明宏の名でライブハウスでシャンソンを歌っていた時代、今もよく歌われる「枯葉」や「愛の賛歌」の中に「ミラボー橋」という歌があった。詩は百年程前のベルエポックの時代にパリで活躍した、ポーランド貴族の娘とイタリア系貴族の私生児として生まれた詩人のギヨーム・アポリネールである。
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パリの橋の下セーヌは流れる |
ミラボー橋の下をセーヌ河は流れ
われらの恋も流れる
わたしは思い出す
悩みの後には楽しみがくると
日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る
(堀口大学:訳)
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マダムヒサダのフロマジェリー |
旋律は緩やかだが、深い哀愁をたたえた曲想と詩は若い心に深くしみ込んだ。まだパリが遥かに遠かった時代、もしパリに行けるなら、ミラボー橋を見たいと願い続けた。やがてパリどころか、世界中に誰でも行ける時代が来て何度もパリを訪れたが、ミラボー橋にはいかずじまいだった。 |
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シェーヴルの季節 |
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忘れたわけではない、この橋はパリの南西の端っこの、ほとんど観光とは縁遠い場所にあるのだ。だが、ついにチャンスがやってきた。
知人の久田早苗さんが、ミラボー橋の近くで日本人としては初めてチーズ専門店を開いたのだ。彼女は子育てを終えた49歳の時にフランスのチーズ熟成の第一人者に師事して熟成を学び、日本の女性では初のチーズ熟成士となった。このMadame Hisadaの店はミラボー橋よりさらに下流の右岸のマロワ通りにあった。店の前の小さな広場はちょうど朝市が立つ日で、びっしりとテントが並んでにぎわっていた。お店は小ぶりながら女性らしい配慮が行き届き清潔で美しかった。ちょうどシェーヴル(山羊乳チーズ)の季節で、様々な形のチーズが所狭しと並んでいる。突然の訪問でマダムは不在だったので、ヤギの小さなチーズを一個買い、前の朝市でパンとハムを買ってミラボー橋まで歩いた。そして、セーヌ河畔のベンチで橋を眺めながらチーズとハムとパンで昼食をとった。
だが、不思議なことに、写したと思ったミラボー橋の写真が撮れてないのだ。
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ディスプレーが美しい朝市の屋台
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「橋の下を月日は流れ・・」時を止めたつもりの写真もまた流れていったのか・・。今もキツネにつままれた気分である。
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