ジャガイモがチーズと出会うまで

 ジャガイモほど、人間の歴史や運命を変えた野菜はないでしょう。それは高々4百年間の出来事です。ジャガイモがなければ、ケネディ大統領もレーガン大統領も誕生しなかった。

 南米アンデス山脈の高地育ちのジャガイモをヨーロッパに持ち込んだのはスペイン人で、諸説ありますが1570年頃と言われています。最初は聖書に出てこない不気味な植物として嫌われ、また食べると病気になるなどの迷信があって30年以上も広まらなかったのです。

 しかしその頃のヨーロッパは小氷河期と言われるほど、厳しい気候が続いて慢性的な飢饉に見舞われます。その上戦争が続き、農地は荒廃して人口は減少していきます。そんな中で、プロイセン(現在のドイツ)のフリードリッヒ大王(在位1740〜86年)は「ジャガイモ令」を発し、国民に嫌われていたジャガイモを強制的に栽培させた。このお陰で食糧事情が良くなり人口が増え、割拠していた小国がドイツ帝国に統一される原動力にもなったとされています。また、更に風土の厳しいアイルランドでは、イギリスの支配下で小作人は重税を課せられ、やむなくジャガイモを主食することで、厳しい生活ながらも人口も増え、ジャガイモは「貧者のパン」といわれます。ところが19世紀半ばにジャガイモの疫病が発生。


サヴォワ風ジャガイモのグラタン

 

ドフィネ地方の谷間の村


 アイルランドは大飢饉に見舞われ250万人が餓死し、100万人がアメリカなどに逃れたといいます。その中に前述の大統領の祖先がいたというわけです。

 日本にジャガイモが到来したのは1600年頃でオランダ人がジャカルタ経由で持ち込み、ジャガタライモと言われました。日本でもこのジャガイモがなければ、北海道の開拓はもっと難渋を強いられたでしょう。

 さて、フランス料理でパルマンティエの名がつけばジャガイモ料理と決まっています。フランスのルイ15世がフリードリッヒ大王と戦っていた時、農学者だったパルマンティエはプロイセンの捕虜になり、収容所で毎日食べさせられたジャガイモが食糧として優れていることに目をつけます。帰国後、フランスにジャガイモを広げるべくルイ16世に宣伝をするよう進言し、マリー・アントワネットの髪にジャガイモの花をつけさせたりします。こうしてフランスにもジャガイモは広がっていくのです。

 そして、ジャガイモはチーズと出会います。スイスではラクレットと出会い、フランスのオーベルニュではトム・ド・カンタルと出会ってアリゴが生まれます。そしてフランスのアルプス山中ではグラタンと出会います。サヴォワとドフィネ地方はグラタン王国で、良質な牛乳やバター、チーズを使った様々なグラタンがありますが、じゃがいもが主役のグラタンもいくつかあります。元来はダッチオーブンのように鉄鍋を暖炉の熾火(おきび)に埋めて焼く素朴な冬の料理だったようですが、これに遥かアンデス山脈からやってきたジャガイモが加わり、グラタンのバリエーションが広がっていったのです。

     

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